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仙台高等裁判所 昭和47年(ネ)48号 判決 1972年10月31日

控訴人 藤井敏

右訴訟代理人弁護士 野村政幸

被控訴人 石鳥卯次郎

主文

一、原判決を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人は控訴人に対し九六万八、八〇九円およびこれに対する昭和四六年一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  控訴人のその余の請求を棄却する。

二、この判決は、控訴人の勝訴部分に限りかりに執行することができる。

三、訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二〇分し、その一を控訴人、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し一〇二万〇、八八九円およびこれに対する昭和四六年一月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次に記載するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

(控訴人の主張)

一、弘南バス待合所に設置されていた長椅子は、多くの待合客が腰をかけて利用するための設備であり、通常はこれを移動したりすることはなかった。そして待合客は特別の事情のない限り、それが他の目的に使用されるとか、移動されることなどを全く予想せずに利用しているのが常態であった。

従って、右長椅子を移動してその利用関係を変更しようとする者は、その周囲にいる待合客に対し、予じめ椅子を移動させる旨を警告し、右待合客がその趣旨を了解したことを確認したうえで椅子を移動させるという特別の注意義務を有する。

二、本件の場合事故発生直前控訴人は本件椅子(巾三五センチメートル、長さ一・八メートル)の北側近くに北向きに立っており、そのまま腰をおろそうとすれば本件椅子に腰をおろしうる位置にいたし、このような坐り方は待合所ではしばしば見受けられることである。しかるに被控訴人は控訴人が本件椅子に腰をおろすかも知れないことを充分予見しながら、かりに被控訴人が「ごめんなさい。」と言ったとしても控訴人がその警告に気づいたことを確認しないまま、あえて本件椅子を移動させた結果本件事故を惹起させたのである。

(被控訴人の主張)

一、本件椅子が弘南バス待合所内に置かれ、バス待合客が腰をおろすために設置されていたものであること、本件椅子は、その巾が三五センチメートル、長さ一・八メートルであること、控訴人が事故発生直前本件椅子の北側に北向きに立っていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、本件椅子は、前記待合室内の床に固定されておらず、混雑時においては必要に応じていつでも移動させる目的で設置されたものである。そして当時何びとも、本件椅子が固定されておらず、移動可能性のあることを充分予測しうる状況にあった。

三、控訴人は当時本件椅子の北側約五〇センチメートルの場所にあった隣の椅子の「背もたれ」に左手をかけて二、三〇分人待ち顔に立っていたもので、本件椅子に腰をおろす様子は全くなかった。しかし、被控訴人としては控訴人が本件椅子から近い距離にいたので、万一本件椅子に腰をおろすこともありうることを考慮し、「ごめんなさい。」と声をかけたが、控訴人において全く本件椅子に腰をおろす気配がなかったので、右椅子を移動させたのであり、被控訴人には何らの過失もない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、昭和四三年八月一一日朝青森市新町所在の弘南バス待合所内において、被控訴人が本件椅子を移動させたこと、そののち控訴人が本件椅子に腰をおろそうとして転倒したこと、本件椅子はバス待合客が腰をおろして利用するために設置されていたもので、その巾が三五センチメートル、長さ一・八メートルの長椅子であること、本件事故発生直前控訴人が本件椅子の北側に北向きに立っていたことは、それぞれ当事者間に争いがない。

二、そこで本件事故が被控訴人の過失に起因するものかどうかについて判断する。≪証拠省略≫によると次のような事実が認められる。

(一)  昭和四三年八月一一日当時前記弘南バス待合所内には南北の方向に三列に各三個の待合客用の長椅子が置かれ、本件椅子はそのうち売店に最も近い南側三個の椅子の中間にあった長椅子であり、土間コンクリートに完全に定着していない移動可能のものであったけれども、特別の必要がなければその場所を移動させずに待合客の利用に供していた。そして本件椅子は昭和四〇年五月三一日設置された背もたれのある長椅子であり、コンクリート土間も今日まで変っていない。

(二)  控訴人は、昭和四三年八月一一日朝午前七時五七分に到着するいとこを待ち合わせるため、右待合所内に入り、本件椅子の北端近くに佇立し、北側入口方向を向き(つまり本件椅子に横合から背を向けて)、一〇数分間いとこの到着を待っていた。その佇立していた場所は、本件椅子を移動させなければそのままその北端部に腰をおろしうる位置関係にあった。

(三)  他方被控訴人は、右待合所がその一部となっている松木屋デパートの管理人として右待合所を管理するとともに、同所内において妻の経営する売店の手伝をしていたが、同日午前八時頃右売店の商品を高い所へ掛けるため踏台として使用する目的で、本件椅子の南側に立ち、これを売店の方向(南の方向)へ約五、六〇センチメートル引き寄せた。その際被控訴人としては、控訴人が右のような位置に本件椅子に背を向けて佇立していることを認め、場合により控訴人がそのまま横合から本件椅子に腰をおろすこともありうること(経験則上このような腰のおろし方も往々にしてありうることであり、本件の場合その可能性がなかったとはいえない。)を予見したので、注意を促す意味で、「ごめん下さい。」と一応警告したけれども、急いでいたこともあって、控訴人が右警告に気づいたかどうかおよびその挙動を確認しないまま直ちに本件椅子を移動させた。

(四)  ところが、控訴人はその直後右警告に気づかないで、そのまま腰をおろしたため、もと本件椅子の北端部のあった場所のコンクリート土間に尻もちをつき、その際右肘部附近をコンクリート土間に強く打ちつけた。控訴人は腰をおろす際、バスの方向に気をとられていたためかうしろを振り返えるなどして本件椅子の所在を確認することはしなかった。

≪証拠判断省略≫

以上認定の事実によると、本件椅子は特別の必要がなければその場所を移動させずに待合客の利用に供されている長椅子であったから、これを利用しようとする待合客としては特段の事情のない限り本件椅子の場所が移動しないことを前提として行動するのは当然であり、従って本件のように他の目的で椅子を移動させようとする者は、その椅子の近くに待合客が佇立している場合にはこれに対して予め警告を発するとともに右待合客がその趣旨を了知したことおよびその挙動を充分確認したうえで移動を開始すべき特別の注意義務を有するものというべきである。しかるに、前記認定によれば、被控訴人は、控訴人が本件椅子の北端近くに背を向けて佇立しており、本件椅子に腰をおろすことも予見しえたにもかかわらず、単に「ごめん下さい。」と言っただけで控訴人が右警告に気づいたことおよびその後の挙動を確認しないで椅子を移動させたのであるから、本件事故の発生につき過失のあることは明らかである。

他方、前記認定によると、控訴人としても本件椅子の近くにいたとはいえ、一〇数分間も佇立していたのちに、しかも椅子の横合から背を向けて腰をおろそうとしたのであるから、事前に一応本件椅子の所在を再確認すべきであったわけである。しかるに右確認措置を怠って漫然腰をおろしたのであるから、本件事故の発生につき控訴人にも過失があったというべく、さきに認定した諸般の事情を総合して較量するとき、その過失の割合は被控訴人が一〇分の九、控訴人が一〇分の一と認定するのを相当とする。

三、次に損害の数額について考えるに、≪証拠省略≫によると、

(一)  控訴人は、本件転倒事故により、右肘部打撲症、右上腕骨橈側上果炎等の傷害をこうむり、その治療、手術等のため、昭和四五年七月五日まで東京慈恵会医科大学附属病院に入院もしくは通院し、その間治療費、入院費として少くとも四万〇、八八九円を支出したこと、

(二)  受傷直後から昭和四五年一二月までの間、右傷害により思うように家事労働ができなかったため親戚の訴外杉沢弘子に家事の手伝いをうけ、その報酬として四八万円を支払ったこと

が各認められ、右合計五二万〇、八九九円は本件事故によって生じた損害であるが、前記二の負担割合によると被控訴人は右金員のうち四六万八、八〇九円を負担すべきである。

さらに≪証拠省略≫によると、控訴人は旅先での不慮の事故により、切開手術を含め長期間の治療を受けることを余儀なくされ、その間患部の痛みに悩まされ続けたこと、そして現在も右腕は水平位までしかあげることができず、着物の紐を後手で結ぶことやふとんなどの重い物を持つことができず、主婦としての日常活動に多大の支障を生じていること、またかねてより趣味としていた油絵を書くことも中断せざるを得なかったことが認められ、さきに認定した本件事故の状況、双方の過失の割合、傷害の程度その他諸般の情況をあわせ考えると、控訴人の精神的苦痛を慰藉するには五〇万円をもって相当とする。

四、以上の次第で、被控訴人は控訴人に対し合計九六万八、八〇九円およびこれに対する本件不法行為以後の日である昭和四六年一月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

してみると、控訴人の本訴請求は右の限度で正当として認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべきである。よって、右と趣旨を一部異にする原判決を主文第一項のように変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤幸太郎 裁判官 田坂友男 佐々木泉)

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